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考察:人が強く願うことは現実にいかに影響を与えるのだろうか

指先がしびれ、下の奥がチリチリする。
心臓の鼓動はその規則性を失い、胸の奥を不機嫌なノイズが
打ち続ける。時に弱く、時に強く。

六月に入り、いよいよ持って蒸し暑さと湿度を含みはじめた
空気が、見えない壁になって体に纏わりついてくる感じが
強まってきました。

この時期になると決まってめまいと不整脈に悩まされます。

しかし今年の体の不調はいつものそれとは原因が異なるのでは

そう、高田馬場の見えない霊的な状況を守り続けてきた
シェーキーズがなくなってしまったことによる、霊的な磁場の
変化が大きいのかもしれません。

五月初頭、見慣れたいつもの看板が、忽然と姿を消してから
この町を不穏で隠微な空気が漂い始めた気がします。

 

シェーキーズの消失を知ったその日、膝から崩れ落ちそうになる
体をなんとか支えて、とりあえず馬場の名物タイ料理ビュッフェ、
「カオタイ」の椅子にたおれこむ。

グリーンカレーを口に含んだ所から先の記憶がないのです。

右肘に擦過傷と、ズボンのポケットに大量のブラックサンダーの
包装紙が入っていました。一体何をしでかしたんだ?僕は・・・

この擦過傷は後々「シェー傷」と銘され、皆の心にその悲しみを
教訓を刻み付けるようになるのです

最近読んだ本の中で「純正知性学」という学問があることを知りました。
まだ超科学の域を出ない代物ですが、ぶっちゃけていってしまうと

「人間の思考に質量があることを証明する科学」

とでも言ってしまったらいいでしょうか。

我々が強く願い、思考するそのエネルギーは質量を伴って現実世界に
影響を及ぼすのです。なんともロマンあふれる学問ではないですか。

もしこれが科学的に証明されるなら、引き寄せの法則とか、因果応報とか
病は気から、とか昔から迷信のようでいながらその実、何かそんなもの
が存在してると皆が薄々感じていたことが、実在の物だと認識される
ようになるのです。

我々の生活は一変するでしょう。

IT革命が引き起こしたのは、この現実世界とは別に仮想の世界を作り上げ
その世界でのやり取りが現実空間に密接に影響を及ぼすこと、
つまりもうひとつの現実を作り上げて待ったことです。

同じように、思考が現実に作用することが実際に証明されてしまうなら
我々の生活にもう一つ並行して存在する世界を構築してしまうことになる
のです。

今はただ、もう一度高田馬場にシェーキーズが、以前よりも
優った姿で姿を現す、そのイメージを具象化しながら願いを
空に届ける日々が続くのです。

シェーキーズ談話 シェーキーズ60spizza

最近、経済の本を良く読むようになった。

以前は全く興味なかったのだけれど、一応経営者と言うこともあって何気なく手を伸ばしてみたのだけれど、これが中々面白い。

 

新自由主義について、金融経済について、
グローバル経済のゆきつく先を知りたいと様々な書物を漁るなか、一節の言葉が胸をうつ。

 

大戦が終わり、そこからベトナム戦争の泥沼に巻き込まれるまでのアメリカ社会。
それはまさしく豊かさと自由を象徴する物だったと。

 

経済は安定し、人びとの生活は心身共に充実していたという。今のアメリカからは、またその延長にある日本の状況からはとても想像出来ないものである。

 

僕が敬愛して止まないシェーキーズも、恐らくその頃のアメリカを象徴しているのだろう。

 

シェーキーズ60周年を記念したpizzaがある。今から60年前、1954年にシェーキーズがその産声をあげる。

 

言い換えるなら僕の人生もそのときに始まったと言っても過言ではない。

 

2000年前のキリストの人生が今の僕の人生にも甚大な影響を及ぼしているように…

 

たっぷりのトマトソースとこぼれ落ちんばかりのとろけるチーズ。香辛料の香りが
大脳新皮質のもっと奥深く、原始的な小脳までもとろけさせる。

 

理性が、溶けていく。

 

そしてその上にふんだんにちらされた
ムラサキタマネギ
ペッパーサラミ
オリーブ
挽肉

シェーキーズはこのカルテットを通して僕等になにをつたえようとしているのだろうか。

惜しむ事なく振舞われた具材たちによって、通常より遥かにボリュームをますシェーキーズ60周年を記念するpizza

 

そこには近代文明の無限の発展と平和を疑う事もなく信じていたあの時代を取り戻そうとする願いと祈りが込められてる。

 

日本社会も混乱をきわめ、続く増税がなされるならさらに経済は低迷するといわれている。普通に考えるなら希望の無い時代。

 

しかしシェーキーズにいくなら、
その優しい木の椅子につつまれ、pizzaに
ふれる度こう思う。

 

世界はそれでも希望にみちている。

 

人は混乱の度に新たな知恵をもってのりこえる。もっと優しい、しなやかな、素晴らしい社会は訪れるのだ、と。

 

・・・・・

街の灯りが、消えてゆく・・・・・

日に二回から三回くらい、瞑想の時間を持つことを習慣化しよう
としています。リラックスした姿勢と、体を締め付けない衣服。
ゆっくりと呼吸し、精神を集中していく。何も考えない事、これが意外と難しい。むしろ何かひとつの事に
意識を集中していくことが肝要。

この集中方法は人のよるのだと思います。僕は最近は、
静かな湖面に、水滴が一つおちては波紋を広げていく、そんな
イメージをひたすら脳内に描き続けます。

やがて雑念が消え去り、外の新目白通りを行き交うトラックの騒音も
耳に入らなくなってくる。眉間に何かが集約してくる感覚とともに
僕のグンダリーニチャクラが脈打ち始める。

まあ、なんというかいい感じになるわけです。

瞑想は精神の健全性を保ち、行動力を上げてくれるとかなんとか。
そうでもしなければ耐えられない出来事が起こってしまったのです。

四月下旬、いよいよ東京に本格的に戻ってきて、まず足を向けるのは
やっぱりあの場所。
「高田馬場シェーキーズ」

印象派の大家がキャンバスに描くような美しいpizza。
味覚だけではなく五感のすべてを総動員して、まさにpizzaを
体験しながら
「シェーキーズなう」と友人に連絡するのがまず東京に戻ってきて
はじめの仕事になります。仕事というよりはイニシエーションに近い。

とっておきのワンピースを着て、初めてのデートに向かう少女の様な
気持ちで高田馬場駅前に足をすすめ、そして、膝からくずれおちそうになる。

シェーキーズが無いのです。