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イプレッション colnago c60 太極を身に纏い 2

どうにも美しすぎるこの外観。おいそれと気軽にはまたがれないまま組み上げてから中々乗り込めない期間が長く続いてしまった事も。

表層を保護するガラスコーティングも施工して、意を決して今回まじめに乗り込んで見るといい意味で予想を裏切られる現状に直面させられるのだ。

colnago c60  ほのかに青みがかったパールホワイト基調に黒いカーボン素地のグラデーション。その上に金色のラメを吹いた黒い切抜きのロゴと流麗なグラフィックが彩りを添える。そして肝要となるのが、写真では捉えきれない黄金のオーロラのようなコーティングが全体を覆っている。

ジルコチューブの複雑な造詣と相まってこの金色のオーロラが、差し込む光源の角度によって幾重にも表情を変えてくる。ここまで手の込んだ塗装のバイクはこれまで見たことが無い。

こればかりは、ネット上の情報や、サイクルショップのディスプレイに飾られてる物を見ている限りはわからないこと。幸運にもC60のオーナーとなった者にだけが味わえる特権だと思ってほしい。

 

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夏の差しこみ切り裂くような陽光や、秋の抜けるようなどこか物悲しい青空の下。どんな季節でもc60が纏う金色のオーロラや複雑な陰影を通して自然と向き合うのはロードバイク乗りにとって至福の瞬間の一つ。

c60の故郷イタリアの原色の光景の中ではどんな表情を見せるのか、想像して見てほしい。

真に高貴な存在は世の潮流とは全く違った彼岸に立つというのか、フレーム造詣自体はシンプルその物。エアロ構造がどうとかそんな物はどこ吹く風といった風情をかもし出している。

実際ほとんどのブランドが、というよりもあらゆる分野の殆どのメーカーは常に新しい市場を開拓し、物を売っていかなければならない。その為に時にユーザーを置いていかんばかりのモデルチェンジや便利すぎて人類を退化させてしまうのでは、と思わせるような新しい機能を盛り込んで過去商品との差別化をはかる。

常に消費者の購買意欲を刺激しつづける。それは時に強迫観念に縛られたかのように感じることも。

もちろんコルナゴもエアロモデルやら色々なモデルをラインナップに並べてはいるけれど、旗艦でありCの名を受け継ぐモデルに関してはあくまでトラディショナルな姿勢を崩さない。

そんなブランドの立ち居地にはどこか、深い森の中にひっそりと身を隠し、世の流れの表層に惑わされずに人の本質を探り続ける賢者のたたずまいを感じてしまうのだ。

真実をつかんでいるからこそ、彼らはブレない。勿論そこにいたるまでに紆余曲折はあったのだろうけれど

機械の手によって生産ラインの流れの中で生み出される製品ではなく、生い立ちから製法にいたる一つ一つの工程に、関わる人間の息吹が込められた物なら、何がしかの魂が宿ると僕は信じている。

たかが自転車、では無くそこに作り手の願い、思い、呪いのような物が内在しているモデルは確実に存在するのだ、と最近もう認めてしまうようになった。

少しオカルトじみているけれど、そう思ったら様々なモデルそれぞれにのり味が異なるのが面白くなった。数値的なデータの変動がのり味にどう左右するのか、だけじゃなくてそのうちに込められた作り手の思いを汲み取るためにもロードバイクに乗り込んでいくのだ。

ならば当然c60にも何者かが宿っている。

しかも格別な何かがだ。

フレームが最終的に形をとり色を乗せること、でそこに込められた思いや呪い(まじない)に蓋をする。だからここまで華麗で豪奢で高貴な装飾じゃなければ閉じ込めることができない思いがこのフレームに込められているんじゃないか。

だとしたら美術品として展示してしまって誰にも乗らせない。そんな選択肢も出てきそうになるバイクだけれど、この装飾もc60を彩る速さの一環として理解しなければならない。

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もちろん、もっとシンプルな外観のc60レーシングモデルも存在している。でもそれはそれぞれのモデルが個別に完結するのではなく、このクラシックモデルとつがいの存在となり、補完するような形で術式を構成している。

同じフレームに同じ物を詰め込んで、異なるパッケージングを持ってその呪いを完成させる。二台の異なる術式のシンクロがあって始めて完結するべき物、と僕は理解している。ちょっとオカルトじみた話になってしまったけれど、こんな考え方もロマンがあっていいじゃないですか。

そのくらい、c60に込められている物は重く、濃いのだ

 

VOL3へ続く

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