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ロードバイク インプレッション cervelo R3 SL 幼年期の終わり 5

R3-SLは当時の水準では圧倒的な動的性能、剛体としてのソリッドさ、そして羽の軽さと黒豹のしなやかさをもって軽さと硬さを信仰するバイクたちの頂点に君臨してしまった。

ゴールドラッシュに沸く大西部、最後のフロンティアに誰かの旗が立てられてしまった時、人々は夢から強引に覚まされてしまう。もうこの先を追いかけようにも開拓する余地は無いのだ。

微熱に浮かされながら誰もが夢に酔っていた、拠っていた時期は過ぎ去り、これからは現実の中で足を地に着けて歩いていかなければならない。そんな風に

R3-SLはカーボンフレームの幼年期を終わらせてしまった。

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アーサー.C.クラークの代表作である、「幼年期の終わり」

冷戦時代を象徴する、米ソの宇宙開発がしのぎを削る緊迫した世界情勢の中、ある日突然異性人の巨大な円盤が世界各国の都市上空を埋め尽くししまう。

彼らは圧倒的な文明力と徳性をもって非暴力的に人類社会を管理、統治し、今まで人類がなしえなかった平和と理想的な社会を作り上げてしまう。それはある目的の故だった。

人々は彼らを「オーバーロード(上帝)」と呼び、敬い、畏れその正体を探らんとする。

このオーバーロードの代表はカレルレンと名乗り、五十年後に人類の前にその姿を現すと公約を宣言する。

オーバーロードの目的、そして正体は何なのか?こんな感じで物語りは展開していく。そしてカレルレンが五十年も衆目の前に姿を隠し続けるのにはある理由があった。

ネタバレになってしまうのだけれど、カレルレン、オーバーロードの外観は、大きな翼を持ち、黒い醜悪な獣じみた物。西洋キリスト教的な悪魔の姿その物だったのだ。

なぜこのような悪魔的な外観をしているのか、これは物語の根幹を成す要素なので、ぜひ自分の目で確かめてほしい。

この、カレルレンをはじめとするオーバーロードの黒い異形と、圧倒的な技術力をもって世界の軍事競争をとめてしまう姿と、

同じく黒い異形と圧倒的な動的性能を持ってロードバイクの技術開発の流れに一つの楔を打ち込んでしまった一つの自転車。

そこに僕はロードバイクの黒い異端児とSF界の傑作の間に因縁めいた一つのシンクロニシティを見出してしまうのだ。

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2008年半ば辺りから2009年以降徐々に徐々にフレーム開発の流れが変わってくるのが見て取れる。

軽さ、硬さというマッチョでわかりやすい要素を追いかける事を一義とする流れから別の支流へ。カーボンのもう一つの特性でもある撓り、たわみのプロセスを注視するフレームが出てき始めるのだ。

第三世代のマドン、586、BMC-SLR01,etc….

軽さ、硬さというわかりやすいファクターの中で競い合えるうちは良かったんだと思う。フレームのどの部分をどのくらいしならせ、粘らせ反発を持たせてフレームに味をつけていくのか。サイクリストの数だけ好みと脚質は存在し、万人が満足するフレームは存在し得ない世界だ。

新しく訪れる時代は莫大なサンプルと時間を投資してしなりを解析し、それぞれがブランドの乗り味と世界観を打ち出していかなければならない。技術的にも大変なことはもちろん、画一的な答えが導き出せない世界がやってくる。

揺り篭をでて、自分の目で光を捉え、耳で風を聞き、手で土をつかむ。そして自らが佳しとする方へ帆を立ててゆく。そんな世界へ踏み出していかなければならないのだ。

だから2015年の現在に僕たちが跨り命を預け苦楽を共にしているフレーム達は、そういう幼年期を抜け出し、技術者たちがもがき頭を抱えながら新しい地平を切り開いてくれた故、存在している物なのかもしれないのだ。

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R3-SLの極めつくされた性能は、だから乗り込んでいくとやはり前時代的な部分を残していると感じる部分もある。

でもこれはネガティブな要素じゃない。

まだフレームに人の手のぬくもりが感じられ、人の理解の及ぶ範疇の技術と合理で作られている物が持つ、確実さのような物かもしれない。

・・・実は今年最後の、そして独身時代最後になるであろう乗り込みで、R3-SLからも少し感傷的な雰囲気を感じてしまったのだ。それは晩秋の澄みわたる空気感に当てられてしまったのだろうか、それとも。

小説、「幼年期のおわり」クライマックスでオーバーロードの地球来訪の目的が明かされる。彼らは次の次元の知性体へと昇華する可能性のある生命体を導く責務を、もっと上の存在から担わされていた。

しかし

オーバーロードたちは卓越した科学技術を持ちながらも決して次の知性体の次元に上がることが出来ない事を宿命として背負っているのだ。

一つの進化の形の極致に至った者。未成熟な存在から見たら神の様にも見える彼らだけれど、絶え間ない進化への渇望が生命存在の根源と同一だとすれば、彼らはこれ以上ないくらいに悲しい存在でもある。

だから次のステージに上がっていく人類を優しさと諦観と寂しさのこもったまなざしで見送っていく。また、それは次のステージに上がることが出来ず取り残され決別していく古い人類にも等しくその眼差しが注がれる。

そしてSF史上に残る、美しく壮大で悲しみに満ちた隔絶と決別。そして地球のカタストロフィが描写されるのだ。

R3-SLはその性能を持ってカーボンフレームの幼年期を終わらせた。だけれど自分はその次の世代に行くことが出来ないのをやはり感じているのだろうか。

だとしたらR3ーSLはこの数年間でなされた軽さと硬さの渇望の歴史とその夢の残滓の、最後を看取る者としての責任と矜持、少しの悲しみを抱いているのかもしれない。

オーバーロードたちが自分達と、残されていく人類に捧げた優しさと悲しみの混じりあった祈りとR3のそれは似通っているように思う。

僕がこの秋に感じた感傷的な気持ちは、もしかしたらR3ーSLがその身に背負った業のような物が僕に伝わってきたのだろうか。

それなら、最初にR3-SLから感じた狼の持つ獏とした寂寥感も理解できる。

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PCやインターネットがまだ身の周りに普及していない時代に産まれ、成長した世代の僕からすると、PCを用いての応力解析、そのた複雑な演算プログラムを用いて産み出されたバイクは何処か理解の範疇の外にあるような感覚を時に覚えてしまう。

ならばPC,インターネット、スマホが生まれる前から溢れている中、育った世代はそういう風に作られたバイクを当たり前のように感じるのだろうか。

だとしたら彼らは新世代のバイクを駆るにふさわしい新人類であり、僕なんかは幼年期に取り残されてしまった存在なのかもしれない・・・

どうもこの秋は感傷的だ。

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