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sheky`s 談話 10 おおいなるかな、エクソダス

まるで猛禽類が獲物を睨み付ける様に、視線は逸らさない。歩行速度はいくら抑えたつもりになっていても気がつけば早足になってしまう。

焦るな、そう自分に言い聞かせながら、それでも脇の下が何時もよりもぐっしょりと湿ってくる。これは汗なのか、それとも乳漿混じりの体液か。

もう10月に入ろうかと言うのに、汗ばむ様な日差しだけが原因ではない。そして両の脇の下から立ち上るのは枯れ草の味わいも含んだチーズのパフューム。高田馬場店を失って尚、血中ピザ濃度依然高し、といった所だ。

休日の昼下がり、新宿通りを連れ立って歩く家族連れや幸せそうなカップルが、私の誇り高き獅子の様な芳香に少し怪訝な顔をして鼻を鳴らしたり、目をこすったりする光景も目にちらほらと映る。仲間内には賞賛の的となるこの大吟醸も、どうやら素人には少し刺激が強いようだ。

彼らの安寧を曇らせる権利は誰にもない。それが一介のシェーキーズに使える祭司の様な人間なら尚更だ。

我々は、人の世に平安と秩序を。

無知の闇に光を照らし、悪を裁き、飢え渇きひび割れる唇をトマトソースとオリーブオイルで満たす事を願いとして人の世を生きるのだ。ここは人ごみをなるべく避けて目的の地に急ぐ事にしよう。

高田馬場店が消え去ってしまってから、不覚にもシェーキーズに足を運ぶ機会が減ってしまった。4月から10月にかけて、およそ入店出来たのは6回になるだろうか。とてもじゃないが仲間内に顔向けできないスコアである。

少しだけ言い訳をさせて貰うと、何回も池袋店に足を運んだのだ。が、どういうわけか連日満員御礼。行列必至。並んでいる間に日が暮れてしまうほどの混み様に幾度と無く足を阻まれてしまったのである。一言、思わず毒づいてしまう「お前らそんなにピザが食べたいのか」

そして500m先のもうやんカレーで飢えを凌ぐ日々。

しかし、敢えて言わせて貰うともうやんカレーもまた美味しいのであった。牛の何処の部位だろうか、ゼラチン質を多く含んだ肉質をほろほろになるまで煮込んだ塊が、濃厚なカレーソースの中にゴロゴロと転がっている。

また、特筆すべきはうどん。腰のあるうどんに特性のスパイスを絡めた逸品。これを口にしたら最後、かのうどん三銃士もラーメンに宗旨がえさせてしまう程の威力を持つ。まさしくうどん界のリーサルウェポンだ。ちょっと言葉を変えるなら、うどん界のチャック・ノリスとも言えるかもしれない。

話をもどそう、悲しいかなシェーキーズ難民に陥ってしまったのである。恐らくだが、高田馬場店の閉店により同じように難民に陥ってしまった人間が少なからずいるのではないかと睨んでいる。

池袋店に入れず、新宿店まで流浪の民の様に足を引きずりながら歩いた事も有る。

・・・・池袋から新宿まで、一体幾つのコンビニがあるだろう。

その度に買い食いの誘惑に耐えなければならない。頑迷なまでにピザにこだわり、菓子パンを拒絶し続けるうちに、いつしか何故ここまでシェーキーズに固執しなければならないのか、と自問自答し、遂には不平不満を口にしそうになってしまう。勘違いしないで欲しい。これは悪魔が心の隙を狙ってくるのであって、到底本音ではありえないのだ。

モーセに率いられ、エジプトを脱出しカナンの地へと大いなるエクソダスを決行したイスラエル民族はしかし、終わりの見えない荒野での生活の中、いつしかモーセに対し不信を抱くようになってしまう。彼らの口からは何時しかモーセと神に対する不平不満が漏れ出るようになるのだ。

そしてその咎の代価として彼らは更に多くの歳月を荒野で過ごす事になってしまう。その位に、不平不満というのは運命を壊してしまう可能性があるのだ。

・・・だから、我々はこの流浪の日々を受け入れる。そして不満は決して口に出さず、己の内にとどめ、決然とした足取りでただただ道を進むのだ。16時までのバイキングタイムが終わるまでにたどり着ければいい。そのささやかな願いだけを祈りに込めて。

 

そんな追憶をよぎるままにさせながら、いつしかシェーキーズ新宿店の看板が見えてくる。そして何故か、私は私以外の何者かの掌を掌に重ね、地下へと続く階段を下ろうとしている。この掌の持ち主は、私の流浪の生活を終わらせてくれる存在になりうるのだろうか?

 

続く

 

 

 

 

 

 

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